◇2005・11・05   へれば、へったで、へわれるし・・・

東北弁



田村正和氏のつもり。
私は、東北弁の使い手ではない。
生まれは、盛岡。
この街を出たのは高校卒業して就職した5年間だけだが、胸張って威張れるほど、東北弁(この場合は盛岡弁と言うほうが適切だが)を駆使できるわけではない。

就職先でお客に、

「東北弁、しゃべってみてよ。」

と、言われても、ぜんぜんしゃべることができず、自分を売り込む格好のアイテムを持っていないことを悔やんだものだ。
私の場合、東北弁がしゃべられないと言うのは、田村正和氏が、直立不動で快活に、

「僕、田村正和って言います。」

と、言うほど持ち味を生かしていない事であり、

カップヌードルの底に沈んだ「かす」を、汁ごと捨ててしまう

ほど、もったいないことだった。
・・・と、まず、前振りしておこう。


訛り

しかし、帰省したときの事。
懐かしさで、何気に高校生の時に友人らとの会話を録音したテープを聴いたとき、私の認識は崩壊した。

訛ってる・・・。

しかも、微妙〜に訛ってる。

解凍せずに揚げた鳥のから揚げの中心部のように、生ってる。(「字が違うだろう」と突っ込んでくれて結構だ)

さて、ここで、「微妙に訛っている」を軽く解説しておこう。
まず、ひとつに、イントネーション(発声の抑揚)が標準語らしくない。
だから、文字にすれば訛っていないと言えなくもないが、聞けば、隠くすつもりはなくても、東北人であることが露呈する。

次に、単語一つ一つは標準語として通じるが、言い回しに独特の癖がある。

「そうだっけ?」、「やったっけ?」、「したっけ?」


、と、語尾に「け」の3連放射である。
また、別のものでは

「やったった?」
(=単に「やった?」または「やりましたか?」の意



など動詞の後に「たった?」が付くパターン。
これは、さらに「〜たったっけ?」と変化することで、
「もしかして、私が知らないだけかもしれないけど、〜してくれたのかなぁ?」
という、相手に対する慈愛の思いが込められる。
いずれ、会話は、「け」と「たった」の銃撃戦だ。

実例

なるほど、私はしっかり訛っていた。

しかも、自分で気づいていなかった上、誇れるほどの訛り方でもない。
そんなことがあったせいもあり、関西、東京と移り住んだ後、地元に帰ってから、多少方言に興味を持つようになった。

すると、年配者を中心に結構、面白い話が転がっている。
お〜、ネタの宝庫ではないか。

ここで、ひとつ実例を紹介しよう。
多少有名な(?)格言(?)と言えなくも無い文言だ。

へれば へったで へわれるし
   へわねば へわねで へわれるし
      どうせ へったで へわれるなら
         へって へったで へわれだほがええ。


インデントを入れれば、まるで詩歌のようである。
で、上文の意味はこうなる。

言えば、「(どうして、あんな事を)言った!」と言われるし(責められるし)
言わなきゃ、言わないで「(どうして)言わなかった!」と、言われるし(責められるし)
どうせ「(どうして)言った!」とか「(どうして)言わなかった!」とか言われる(責められる)くらいなら
(言いたいことを)言って、言われた(責められた)方がいい。


()内は、判りやすくする為に私が入れた意訳である。

この場合に出てくる単語は「へう(へる)」で「言う」(上では暗に「責める」という意味でも表現している)という意味である。
内容的には、
「どちらにしても、報われないのなら、納得のいく道を選ぶ。」
、と、どぶの中で前向きに倒れて死んでいった坂本竜馬の生き様を思わせる崇高な精神の発露である。

・・・と、言えなくもないが、実際のところは、単なる早口言葉だろう。

方言=スラング

最初に言い出したのが誰なのか?
今となっては、知る由も無いが、方言というのは、その地域で流行った流行語だったのではないかと考えてみたりする。
つまり、俗語(スラング)だ。
それが正しいとしたら、発信元は現在のタレントのように、注目される存在だったに違いない。
そんな存在とは、ある種のカリスマといえなくも無い。
方言のカリスマだ。

話は変わって、若年の婦女子が自分を名前で呼ぶことがぜ〜んぜん珍しくなくなってきたこのご時世。
今、私の娘は、時折、自分のことを

「おらほ」

と呼ぶことがある。
※ おら=私 、 ほ=方 、 「私の方」と言う意味になり、単純に「私」という意味から、「私の方向」という意味にも使ったり、自分の所属する不特定の集団や自分の家族、家を指して「私達」という意味にも使われる。

念のために断っておくが、年配以外で自分を「おらほ」というのは、うちの娘&お友達くらいのものである。

しかし、年配がこの言葉を使っているシーンでは決して感じない「可愛さ」がそこにはある。(あ〜そうさ、どうせ親馬鹿さ)
そして、いつのまにか、おらほも使っていたりする。




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