思えば、中学3年生の時インフルエンザの治療の際、行きつけの小児科で注射のために生尻をさらされ、ちょっぴりあこがれていた若い看護婦に見られた事に耐えられず、自分の子供が病気にかかるまでは二度と行くことがなかった事がある。
そして、数年前に痔で病院へ行ったときは、医者が女医であったばかりか、4,5人の十代とおぼしき看護婦見習いに肛門ばかりかタマタマまで見られ、恥ずかしさのあまり通院を断念し、自力での完治を余儀なくされた事もあった。
なぜこうも病院へ行く度にパンツを脱がなければならないのか?
神は思わぬところに試練を用意しているものである。
そんな哲学に思いをはせる間もなく、傍らに立つ医師はゴム手袋を装着し、オラホの下腹部を見下ろしている。
なんだ、文句でもあるのか?え?
どうせオラホのサイズは標準以下だろう。
でも、これで3人子供を作っているのだ。
そんな眼で見られるいわれはない。
毅然とした思いとは裏腹に、オラホの息子は真夏の猫のようにぐったりと左太ももの付け根に寝そべっている。
しかし、医師はまるで猫の襟首をつかむようにひょいと持ち上げ、その下にあるタマタマをそっといじった。
なんと言う恥辱だ。
しかも痛いし。
「どうですか?」
「は、はい、痛いです。」
オラホの心の叫びとは裏腹に声は少し裏返っていた。